2022やめたこと!
やっとちょっとブログの書き方思い出してきました。
何やめたかっていうと、人間関係大分断捨離しました。
いやー、申し訳ないがすっきりした。
仕方ないとは思います。
もう会ったばっかの時とは、何もかも変わりすぎてて…
ただ会うだけでもスケジュール合わせるだけで大変、擦り合わせていけば、友人だけじゃなくて、旦那さん、お子さん、義父母の体調等もある中での、コロナ。
その中で、約束の確定度って、「年賀状に書かれた、今年は遊べたらいいね」レベルかなーって。
その子が毎回断ってくることも仕方ないし全然いいんだけど、毎回同じになるならねえ。
状況変わったり、人手が必要な時とかの方がよっぽどいいような気がして。
すごい小さな時から交流していて大好きないとこも、やっぱり今はお母さんで、キャリアウーマン。
だからたまに意見の交わし合いになると対等に話せなかったり…
それが彼女の普段の話し方だとしたら、私は彼女の従業員じゃないから…
今彼女は彼女なりに忙しいみたいで、今の私の悩みとは違うみたいだから。
もーね、LINEいきなりどばんと消去しちゃった!
そうそう、要はラインやめたー笑
ADHDにはLINEは合わないってすごい思った。
無駄な未読既読機能のせいで、「見てないなんて…」「読んだのに何で返信ないの?」に、かなり振り回されてきた。
いつでもチャットルームは確かに楽しい、でも、学生なら一気に仲良くなれるツールかもだけど、
私は「あの言い方だったから返事ないのかな」とか考えちゃって嫌だった。
結局社会人になると忙しいから使い方雑になってくるし。
スタンプは無限に出るし…
ブロックしたの相手に伝わっていいよ、そこも意味不明。
ブロックして、連絡先から削除して、どんどん連絡先を澱ませたくないのに情報吸い取りたいからかブロックまだなんだよね、
私は他人の感情想定したら物すごい想像した情報量でまずバグるし、機取り直してどの想定が一番近いんだろう、なんてやってたくない。
許せないなら言わなくいい、時期にもよる。
言えるなら言ってきてほしい、ちゃんと謝る。
言わないんなら、私は違うことに時間使う。
ラインやめてかなりストレス減ったー!
2022 新しく始めたこと!
2月になってから書くことなのかは謎ですが、
まず、新しく始めたことを!
着付教室に通うことを決めました。
年末年始、素敵な出逢いがいくつもあったんです、その方(Kさん)との仲を深めていったら、自然な流れで通うことになりました。
私の心の故郷は夢と魔法の国ですから、和洋折衷アレンジに心惹かれ…ロングシフォンスカートを袴代わりにしたり、帽子やヘッドドレス、ピンヒールやリボンブーツ!
海外旅行をするようになって、着物は絶対に着られるようになってからじゃないと恥ずかしいと学んだのもあります。
とりあえず今は基本の帯と着物の着方を習っています。
帯は平らなのに折り紙の要領でどんどん立体的になっていくし、服みたいに着ていたはずの反物は畳むと真っ平らに…
着物を触ると、所作が綺麗になりますね。
あと、胸下からガチガチに幾重にも紐で止めていくので、反り腰の猫背の矯正に抜群!!
帯だけでもほんとオススメ、衣替えとかの腰に負担かかる時とか、帳簿つけで同じ体勢になる時は、もう最近は帯締めてやる時があります笑
姿勢補正効果がすごくて、ほんとイトコとかにオススしたい。
一回Kさんにフルで着せてもらって、2時間くらいで脱いだけど、夜から体がバキバキ鳴って1日鳴り止まなかったですもん!
もちろん、諭吉何十人分の新作販売をかわすのが大変なんですが、私はまだ1人で着れないから、諭吉新作も安くなるならまあさ、いいのかもしれないけど、私はまず教材代わりの500円の着物着れられるようになりたいよ笑
あっかいしね、ポリ洗える着物なら500円とかもあること考えると、冬にこそロリ着たかったけど、普段着には着物も可愛いかもなんてー💖
今はね、ギャップとスニーカー合わせたくてうずうずしてます💖
また書きます!
2022 2/4,立春に
以前からお話を進めていた保護猫さんを、正式におうちにお迎えしました。
なんで2/4になったかっていうと、我が部屋劇狭物件に猫のケージが届いた日なんです。
もうちょっとゆっくり組み立てるつもりが、
①狭いし!
②猫ちゃんが大きめなので!お留守番のことまで考慮してゆとりあるサイズにした結果!
1人では組み立てられないし、なんなら段ボールの時点で通行困難になり、小学生の学校帰りにバイバイするような距離に保護猫さんが住んでいるので、
「助けてください…」
とSOSを出しました。
2人がかりで3段ケージを組み立て、
爪とぎとか見に行こうとショッピングモールで買い物、
必要なものがほぼ揃ったのもあり、
「今日お迎えするとかアリですか?」
の質問に、軽くOK出してくださったので…
2/4、17時過ぎにおうちに迎えました。
やっぱ1人じゃない、誰かの為についでに買いに行ってこよ、って動機、ADHDにはすごい大事だって思う。
夜に鼻血が出ました。
私は疲労すると鼻血が出るのでバロメーターにしてるんですが、なんと肩凝りが酷いと血が滞り鼻血がでるんですって!
私もう幼稚園くらいから肩凝りの自覚はあるし、鼻血もそのくらいから日常茶飯事に出てて、でも誰もからだほぐせって言わなかったよ!
ティッシュくれるだけだったよ!
2022年の抱負は、鼻血が出なくなるくらいには肩をほぐしたいです。
それではまた!
私が思う「エヴァンゲリオンてこんな話」。
どうもです。
遂に新劇場版エヴァンゲリオン四部作の最終作がAmazonプライムに追加されました。
まだ観てません。
正直に申し上げますと、めんどくささ8割、終わっちゃう寂しさ2割です。
めんどくささ8割の内訳は、やはり「Q」の要因が大きいです。
「あと2時間しかないのにそんなに謎拡げるの?」
「終わるの?あと2時間で」
というのが、「Q」を観た直後の感想でした。
そして最終作、延期に延期を重ねて漸く公開!からのコロナで延期!
正直「コロナで延期」も半分くらい進歩状況間に合ってないから丁度よかった、って思ってないかなと勘繰る部分もありました。
でもそのせいでなのか、たまたま庵野監督が対談している記事を読みました。
どの雑誌かは失念してしまい、確固たるソースとするほどの信用性は薄いです、記憶から引き出して書き出すので、言葉も違うし、解釈も違うかもしれません。
ですので、私が26年かけて聞きかじってきた情報を基に、私が私なりに解釈した「エヴァンゲリオン」を説明するというのが今回の趣旨になります。
あくまで私個人の見解ですので、違っている部分や違う解釈があれば是非お話をしたいです。
論破とかはされたくないです。
どう感じたという感想には一人一人の宝ですから、論破とか情報のマウントをしたい方はサヨウナラ。
では書いていきます。
最初のエヴァは、「新世紀エヴァンゲリオン」
1995年10月4日-3月27日までの全26話。
放送時間は18時半からで、その前の18時からは「愛天使伝説ウェディングピーチ」がやっていたそうです。
エヴァの前は「ミュータントタートル」が三年も続いていたらしいので、エヴァは非常に異色だったと思います。
私もミュータントタートルズはどこまでかは見てましたが、エヴァは本放送はあまり観ていなかったかもしれません。
クラスメイトから聞いて、レンタルビデオ屋に並んだので借りたのが初めてだったような気がしています。
エヴァを見ていた人は少ないし、放映時ならまだしも、個人的に観たので、エヴァについて深く話した人は結果的に一人もいません。
どう話せばいいかも難しかったですし。
しかし、26年の時を経て、私も色々な知識を身につけ、ようやくなんとなく飲み込んだような気がします。
こうです。あくまで個人的な解釈ですが。
当時は子供だったからまあ意味不明な部分もあったし、とかも含めて私も大分大人になったからわかるが、あの話に大したどんでん返しとかない。
監督が監督になって、当時NGされてやれなかったことを全部詰め込んだだけの、当時としては「アニメでそこまでやっちゃう!?」って描写が珍しかった、フラストレーション爆発させただけの話。
1995年のアニメ26話で全部完結してて、
そこまで掘り下げる気なかったちょっとかっこいいワードが実在するもの使っちゃったから深読みされた。
旧約聖書から新約聖書になるキリストがモチーフではあるから、「新世紀」で「少年よ神話になれ」とか。
どうして争わないといけないの、争いたくないけど自分も参加しないと自分を守れない、みんなも守れない、
参加するのは怖いけど、自分が存在することを認識されることでもある、他者とはそうやって繋がっていく、
傍観してるだけじゃダメなんだ、
でも自分が最大限に頑張っても悲惨なことになった時もあって、そんな自分が無力で大嫌いでも、傍観者に戻っても何も変えられない
でも辛いのは嫌だ、別々に生きてるから辛いんだ、みんなで一つになったら、もう辛くないよ(みんなで死ぬ)
もし地球を壊せるほどの力を手にしたら、どっちの選択をする?
辛い思いをしながら生きるか、みんなで死ぬか。
新しい世界が始まるなら、どっちを選ぶ?あなたは神様だから、どっちを選んでも誰も何も言わないよ、さ、選んで。
って話。
で、主人公は辛い思いをしながら生きる世界を選んだ。
主人公にとっては、他者に関わっていくことがそれくらい重い悩みだった、ってことなんだけど、悩みを具体的なワード使いすぎて、見てる側には例えで終わらなくなってる。
で、映画で本当に世界の終わりみたいになって、でも主人公はやっぱり辛い思いをしながら生きる道を選んだ。
要は例え話の仕方が下手なだけなんだけどさ、ファンが納得しないというか、記憶の断片を見せられる状態だから推測しちゃうのもあるし、話が終わらないまま新しい話始めちゃうんだよね。
監督としてはそこまで掘り下げる気ないワードなんだろうから永遠に考察は終わらない。
新劇場版に関しては、金銭面を任せてたもともと友人が、金に狂って、儲けすぎた分使いすぎて、いろんな版権売るほど借金作ってたから続けざるを得なくて、1995年に作ったエヴァンゲリオンはほとんど売られて手元になくて、新しく会社経営し直す為に話も作り直した。
色々名前とかがちょこちょこ変わってるのは、版権がないかららしい。
アニメ26話分取り戻せるとこ取り戻して、新しい終わりも生み出さないと、自分が生み出したエヴァンゲリオンじゃないものばかりが世にでることになるから、つー、
その友人とは分かり合えなくて縁が切れて、最悪の精神状態で作ってたそうで、またそれが見事に映画に反映されたから余計訳わかんない内容でね!「Q」は特に反映されている。
それがようやく終わる、ってのが2021年公開の最終作。
本人はいい加減エヴァから離れたかったみたいだし、声優たちも「もうエヴァのこと聞かないでください」って言ってる。終わったって言ってんのに聞かれても私たちも本当に話すことない、って。
コロナじゃなかったらここまで話題にならなかったと思うから、時期を味方にする運はある人なのかもね。
「終わったって言ってるだろ、終わりなんだよ!」っていう、とにかく終わりだよってことが強調されてる感じで、「あのワードに関しての説明」は多分毎度のことなくて、監督からしたら「ちょっとした例え」が高次元すぎるんだろうな。
時代が追いつかないすごい先に生まれちゃった人の話、って感じ。
頭いい人の悩み方というかね。
頭いい人ほどハマるみたいだからねエヴァンゲリオン。
逆に言うと、頭悪い人にも理解できる説明ができないというか。
アニメじゃなくて映画とかの分野を萌え萌えな絵で夕方に放送したから、「なんか超かっこいい」「キャラも可愛いけどすごい頭いい子たち」ってなっちゃったんだな。
頭悪い人はずっと理解しないまま、なんかすごいかっこいいって浸っちゃってるからな。
戦争とか思春期とか殴り合って仲直りとか、選ばれた者とか、おっぱいとか、男の子が好きなものばっか詰まってるし。15の夜、規制が厳しくなって盗んで走り出すこともできない男の子たちの、新しいかっこいい現実逃避場所だったんだろう。
女の子が当時ビジュアル系にハマるのの男の子版だったのかな。
という感じです!
監督が自分を碇シンジ、完璧な自分を渚カヲルと見立てている時点で、彼の脳内フラストレーションぶち込んだのかなって感じました。
あとは単純に戦闘シーンが描きたかったんでしょうし、生まれてくる意味、大人なでも子供でもある時期に関わる様々な大人を見て、そこから得る影響、葛藤の昇華の仕方に聖書をなぞらえて、嫌悪でさえ意味がある、というメッセージにしてくれた気がします。
これからもエヴァはガンダムのように、色々なタイムループや違う切り口、スピンオフとして生き残る為に新劇場版でエヴァンゲリオンを守った、という感じらしいので、私が見てきた全てのエヴァは、一応全てきちんと終わりを迎えてます。
きっと新しい「エヴァンゲリオン」が始まると思うので、むしろこの時代に産まれたからこそ何度も生まれては終わるエヴァを体験できるので、もはや特権として「次のエヴァ」は楽しめるやつだといいなーと思います。
最終作見て意見変わったらまたなんかかく。
では皆さま、ごきげんよう。
某ADHDが考える、頭でっかちの回避の仕方について
どうも極東の魔女見習いです。
今回は魔女全然関係なく、ADHDが陥りやすい「頭でっかちになった時」の説明と、私が個人的に実践している対応策を書こうと思います。
まず、「頭でっかち」とは何なのか。
平たく言えば、考えだけがたくさん浮かんでどれから行動したらいいかわからない状態を私はこう呼んでいます。
「口だけ」とも言うかも。
しかし、ADHDである、私の頭の中はの話ぬなりますが、電気屋さんのテレビコーナーみたいに私の視界関係なくテレビが並び、それぞれのテレビが何かを映して、何か音が流れてるって感じです。
昔ディズニーランドにあったアトラクションのビジョナリアムに近いです。
ただし、映像や情報は繋がっておらず、いろんな情報が頭の中を常に流れてる感じです。
視界から見えない後ろ側のテレビは、たまに振り返って目に入っちゃう感じです。
これは個人差があると思うので言い切りたくはないですが、感受性が高すぎて、私が処理できる情報以上に私の脳は常に何かを捉えているんだと思います。
だからテレビを見てて思わず呟いたとこから会話を始めちゃったりするのですが、相手にはテレビが見えていないですから、今までのテレビの内容を慌ててなんとかまとめて話すけど大体が意味不明な発言となります。
夢見てて寝言言っちゃった感じ。
で、ADHDというか、考えてから行動する人というのは、考えなしに体を動かすことがないので、体力がない傾向にあると思います。
それでも、成長期や生理終わり、穏やかな天候が続く日は体力が普段よりある時もあります。
そして、考える力と体力は別々のゲージだと考えることが大切かと思います。
普通の人より考えやすく、体力がないので、体力ゲージがピンチの時にも頭は平常運転で考えていると、行動に移せないので考えばかりが浮かび、結局何もしない1日だったと自己嫌悪する傾向にあると思われます。
自己嫌悪が重なると、自己肯定感も下がるので是非意識してほしいのですが、「やりたいと言うだけ」で行動できない時は、ご自分がグズなのではなく、何かが足りておらず気力で乗り越えられないほどに疲労している可能性があります。
体力を回復するにはタンパク質はビタミンが必要になりますが、脳を回復させるにはブドウ糖になります。
お菓子は常温で日持ちするし、片手間に摂取できるものですが、体力回復には向いていません。
また、気温や湿度、空気にも気を配ってみてください。花粉や埃、カビの胞子が飛んでいる空間ではやけにイライラしたりします。
今の空間の何かが不快だから気が散って集中できない場合があります。
何が不快か、自覚するほどはっきり汚れていないものが何かあるかもしれません。
勉強する気にならない場合は、机が意外と埃だらけ、机の上が物置になっているので、片付けるところから始めなければいけない、使い勝手が悪い、とか、本人のやる気とは違う場所に原因がある場合もあります。
また、体力が足りない可能性の他に是非見落とさないで欲しいのが、「精神状態」です。精神力、心、気持ち、感情、色々な言葉に散らばっていますのでいまいち言葉選びが難しいですが、「頭ではわかってるんだけど」という時は、心理的には納得していない場合が多い気がします。
「頭ではわかっている」のは、多分「こうした方が喜ばせるんだろうな、迷惑にならないんだろうな」という一般論の場合が多い気がします。
つまりここ重要なのですが、「自分の気持ち」じゃないんです。
本当は「こうしたい、したくない」という気持ちがあるはず。
それをまずは見失わないでほしいです。
こうしたいという「自分の気持ち」を主軸にして考えることが大切です。
軸を「他者の要望」にしてしまうと、一気にハードルがあがります。
例えば、「親を喜ばせたい、親に迷惑をかけたくない」という考えは、「親の要望に応える」ことであり、自分がやりたいかやりたくないかは関係なくなってきます。
やるしかないし、失敗もできなくなります。
まずは自分の考えを主軸にする。
陥りやすい例としては、「大学卒業できないかも」にしてみます。
特例として、高校や大学は、義務教育とは違い、授業一回もお金を払って受けています。
「お金を払っても受けたい授業を受け、知識を増やしたい」という要望があると前提に考えます。
親御さんが学費を出してくれている場合は、卒業が親孝行という目標であるということができると思います。
この場所の親孝行は、「親を喜ばせる、親に迷惑をかけたくない」ではありません。
「最低ランクでもいいから現役で卒業する、又は留年してでも中退はしない」です。
「親を喜ばせる、親に迷惑をかけない」という大きなジャンルの中に、
・学校卒業
という項目がある感じです。
並べると一気に負担になります。
頭でっかちになる時は、大小のジャンルと項目をとにかく羅列している場所があります。
適切な大きさに分解することが大切です。
更に重要なのは、
「親を喜ばせること」と「親に迷惑をかけない」ことは2つの項目に分かれます。
「親を喜ばせること」は、学校で例えるなら、首席で卒業するとか、相当ハードルが高い目標になります。失敗、単位を落とす、赤点、留年、中退、学校を休む、授業をサボる、全てあり得ません。
ですが、「親に迷惑をかけない」について考えるなら、赤点でも単位を落としても、卒業できればいいのです。
そして、留年という選択は、卒業できたなら大した問題ではないのです。
もちろん中退することも大切な判断です。
自分に合わない場所に無理に居続けることはありません。
「自分の気持ち」を主軸に置いたら、全て「グズだから」なんていうことはないのです。
「グズだから」という言葉すら、「動いてほしいときに動かない」という他者の評価です。
どうして動けないのか、それには必ず理由があると思います。
普通の人より色んなことに反応して疲れるし、普通の人は感じてないから普通の人のアドバイスでは解決しないケースもあるかと思い書きました。
走り書いてるので、いつかもっと端的にまとめたいですが、今は書きたいことを一通り書き出すことを大切にしたいと思います。
ではまた。
某ADHDが2021楽しんでるゲームアプリデザインマイルーム2
楽しい記憶はどんどん残していきたい。
どうもです。
今回も前回に続き、デザインマイルームの記事です。
今回はただの自己満足、私の努力の結果、星5つのデザインをただ並べていきたいと思います!
さあ誰も特に気になってなくても書きますよ!
こちらな私が初めて星5つを獲得したデザインです。
でもちょっと暗くないかなあとか、絵が揃ってなくてちぐはぐじゃないかなあとか感じているので、いまいちよくわかってません。
他に受賞された方の作品はこちら。
んーすっきり明るくありながらまとまっていて素晴らしい。素敵な作品です。
もう一作品ご紹介。
絨毯の色とソファーの色と合わせて遊びながらも完成されている素晴らしい作品。
こんな感じで、正解がないので「そういう持っていき方があるなんて!」と大変刺激を受けます。
さて自己満足タイムに戻ります。
壁紙の緑の配色を植物の緑で調和を出して、強引に赤でまとめた作品。
これは家具の縛りで赤いソファーを選ばざるを得なくて無理矢理まとめたような気がしますが、まだまだ胸を張れる作品ではなく、海外のセンスわからんなあって感じです。
ちなみにこの作品では、
赤い家具で攻めたのは私だけだったみたいで、ちょっと嬉しくなりました。
そして次がこちら。
家具の配色と絵の配色を同じにしてみたのですが、無難…
でも無難こそ万人受けするっぽいことを学びました。
他の先輩方の作品は、
家具は同じようなのを選んでいるつもりで、家具の色味まで考えられていたり、ゴージャスな家具でまとめられているから気品溢れています。
皆さんすごい。
中級プレイヤー以上になると絨毯で遊んでるんですよね、かっこいいです。
私が当初自信があった割には残念だった結構なのはこちら。
子供服店のデザインなんですが…
かわいいだけだとどうも評価が低いようです。
子供服店は全然星とれません。
でもレストランの方が苦手かも。何を求められてるのが全然掴めてない。
変に日本ぽいデザインも難しいです。
盆栽とか畳みとかでなく、ワールドワイドなデザイン難しい。固定観念が邪魔する。
先輩方の作品はこちら。
こんな感じが求められているようです。素敵ー!
枯山水とか意識してしまう私にはまだまだすぎる…!!
屋外にラグを敷く意味がわかりません。
これからもどんどん楽しんでいきたいと思います。
ではでは!