頭カラッポの方が夢詰めこめるブログ

ADHDの血をひく見習い魔女が日出ずる国にて馴染もうと奮闘中。設定曖昧。

安楽死について考えてみた

これから書くことは私個人の考えであり、私個人の生い立ちから始まる考えです。

 

私がADHDなんだと知ったときは、心療内科に通うようになってから10年、年齢では30を超えていました。

今まで「どうしてみんなはできるのに、こんな簡単なこと自分はできないんだろう」という自分の愚図さに苦しめられてきました。

家の鍵をなくす、社員証をなくす、網棚に置き忘れる…

一度は年末の大晦日に、仕事から帰ってきたら鍵がなくて本当にどうしようかと思いました。

思い出そうとしてもとある部分だけ記憶がバッサリないんです。

これがADHDという聞きなれない言葉ではありますが、私の病名?症状ということでその言葉は深く知らなくても、今まで愚図だと思っていた部分は疾患であるということを知った時はとても安心しました。

どんなに工夫しても気をつけていても起こるときは起こるので、「自分は愚図じゃない」ということはすごく助けられました。

しかし、完治するものではなく、「一生うまく付き合っていくしかない」ものであることも知りました。

 

まず自分の何が正常で何が異常かがわからなくなりました。

今までは違いを指摘してくれた学生時代の知人がいました。

好かれていたわけではないです。イジメまではいかなかったけど、「変な子」という扱いだとしても、客観的な反応は自分の修正の糸口だった気がします。

学生が終わると、色々な理由で人間関係は薄くなります。

特に女性は子育てにより嫌いじゃないのに縁が切れていくこともあります。

異常かどうか反応してくれる人がいなくなり、自分ではどうしたらいいのかわからないです。

家族も色々な理由で縁が切れていきます。

ADHDの特性「注意欠陥」「体力がない」「睡眠時間が長い」、サポートなしで生きていくことは非常に迷惑なのは承知ですが、サポートしていただくのももう申し訳ない気持ちしかないのです。

ADHDは遺伝の可能性もあるそうで、まあもともと自分が自立できていないので面倒みれる気もしませんし考えてないですけども。

自分一人で生きていくことすら不安でいっぱいなわけです。

 

ところで、自殺というのは本当に迷惑です。

例えば借家でしたら「事故物件」となるし、少しでもリフォーム費用が発生してしまうでしょう。

電車に飛び込むというのは「ダイヤを乱した分の慰謝料」みたいなもんが遺族に請求される、遺族にとって一番迷惑な自殺だと考えています。

どんな場所であっても選んだ場所はイメージの悪い場所になるのではと思います。

そういう意味で迷惑をかけない方法として、安楽死がふと浮かびました。

日本では安楽死は認められておらず、海外で日本人を受け入れる団体があるにはある模様。

費用としては200万程度、そして交渉をする等語学力が必要なようです。

勿論失恋くらいでは受け入れてもらえません。

現在の医療では治療不可能であり、高額の医療費が払えない、とか審査項目があるみたいです。

未来が見えないからこそ、費用と語学を頑張ってみようかなと思った次第であります。「人間として死にたい」とかよりも「死んでいい場所で死ぬなら迷惑じゃないかな」という気持ちです。